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#02 鴨下伶さん - Tokyo里親ナビ|子どもと里親の暮らしを知るサイト

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Talk&Real

里親暮らしのリアル 本音トーク(対談)

#02 鴨下伶さん 20歳

Ryo , Kamoshita

父の背中、自分の道

児童養護施設で暮らしていた鴨下伶さんは4歳のとき、里親のTさん夫妻と出会い、里子として迎えられました。中学2年生のとき、里母のM子さんをがんで亡くすという経験をしましたが、20歳となった今春、社会人として巣立ちます。伶さんは「血が繋がらない僕を育ててくれた父と母に、心から感謝している」と、語ります。

 

(聞き手・文=清水麻子 写真=鈴木愛子)

 

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profile

かもした・りょう 20歳。1歳のときから乳児院や児童養護施設で育つ。4歳のときに里親のTさん夫妻に出会い、一緒に暮らし始めた。高校卒業後はビジネス専門学校に進学し、簿記や会計を習得。今年4月から不動産会社への就職が決まっている。趣味は生き物の世話。

※年齢は2019年3月現在。

 「父の仕事を継いでみたい」と、思った日

━━4月から社会人になるそうですね! 今はどんなことを?

 

 はい、ちょうど専門学校の卒業式が終わり、4月から不動産会社に就職することになっています。仕事には責任も伴うので、緊張も、楽しみも、不安もあります。

就職先の会社から宿題が出ているんです。「他の人が考えない自分なりのアイデアで、顧客を見つける方法を3つ考える」という内容なんですが、これがけっこう難題で(笑)。でも頑張って考えています。それと、就職したら自由に使える時間が減っちゃうかもしれないので、友達と遊ぶ約束をけっこう入れています。

 

━━希望にあふれていますね。どうして不動産会社を選んだのでしょう?

 

伶 里父が不動産管理業をしていて、その影響が大きいです。父は、ぶっきらぼうで不器用な人ですが、管理物件の水漏れ修理や、鍵の交換なども自力でやるので、その姿にひそかに憧れていました。ある日、ふざけて「お父さんの仕事、継いでみたいな」みたいなことを言ったら、「そうしたら不動産関係の会社に入って、びっしり学んできなさい」とアドバイスされたんです。そんな経緯もあって、不動産関係の仕事に就きたいと思うようになりました。

  

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就職活動のために新調した皮靴は、今では履き慣れ足になじむように。

覚えているのは、乳児院時代の「床屋の日」

━━小さかった頃のお話を聞いてもいいですか?

 

 あまり覚えていないんです。でも、乳児院で過ごしていた頃の「床屋の日」が記憶にあります。髪が伸びた子どもを数人集めて床屋さんに連れて行ってくれる日があったんですが、僕がいた乳児院は当時、外に出られる日は少なかったのでワクワクでした。床屋さんが、髪や顔に「ぽん、ぽん」とつけてくれる白い粉の匂いを、今も懐かしく思い出すことがあります。

 

あと乳児院には校庭みたいなのがあって、たくさん子どもがいて、年齢関係なくみんなで遊んでいた記憶があります。血は繋がってはいないけれど、お兄ちゃんみたいな存在がいて、おもちゃをもらったりしたこととかも覚えているし、乳児院からもらったアルバムを見返すと、先生の顔とかも思い出すことがある。嫌な思いとかはまったくなく、楽しかった場所という記憶です。

 

━━3歳で移った児童養護施設では、どんなふうに暮らしていましたか?

 

 施設には犬や金魚、カエルなどがいて、初めて見たので本当に衝撃的で、毎日、捕まえようとして遊んでいました。あとは3人の先生が交代制で勤務していて、「朝の先生」と、「昼の先生」と、「夜の先生」がいたのを覚えています。大好きなおやつの時間は、確か「昼の先生」が担当だったかな。

 

━━先生が交代して、寂しいとかは感じなかったですか?

 

 うーん。たぶん、それはなかったです。園庭とかで友達とワイワイ遊んでいて楽しかった記憶しかないですね。

  

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昆虫や動物などの生き物が大好きな伶さん。夏休みの宿題用に作った作品にもビーズの昆虫が並びます。

 

「よろしくお願いします」のつもりが……

 

━━Tさん夫妻と初めて会ったときの印象は、どんな感じだったんでしょう?

 

伶 最初は公園や動物園などに一緒に行ってもらってたんですが、「優しい人たちだなぁ」くらいの印象でした。交流期間が進むと次第にTさん夫妻の自宅にも遊びに行くようになって、施設の人と一緒に「よろしくお願いします」という言葉を、練習するようになりました。何度も何度も、練習した記憶があります。

 

そして最終的に、施設の人から「この人たちが、君のお父さん、お母さんになる人だよ」と言われました。当時の気持ちはあまり覚えていないんですが、多分、嬉しかったんじゃないかなぁ。

 

里子としてTさん夫妻に引き取られる日。施設の人に「練習してきた『よろしくお願いします』をここで言いなさいね」と言われたんですね。けれども僕は「おめでとうございます」と言ってしまったんです。あれだけ練習した「よろしくお願いします」が、緊張して大事なところで「おめでとうございます」になっちゃったんです(笑)。

 

でもTさん夫妻は、優しい笑顔で「ちゃんと礼儀ができる子なんだね」「別に悪い言葉じゃないから、いいんだよ」と、声をかけてくれたんですね。それが本当に嬉しかったのを覚えています。

 

「家に帰る」という初めての経験

 

━━Tさん宅で暮らし始めた当初、どんなことが印象に残っていますか? 

 

 家庭で過ごすのが初めての経験だったので、すべてが新鮮でした。ベッドの存在を知らなくて、トランポリンのような遊具にして毎日のように飛び跳ねていました。父に「もう寝るよ」と言われても止めずに、結構な時間までつき合わせて遊んでいましたね。

 

幼稚園に通うのも新鮮でした。近所の幼稚園なんですけど朝は路線バスで母と一緒に登園し、午後3時くらいになるとまた母が自転車で迎えにきてくれて、後ろに乗って帰るという暮らしでした。「家に帰る」というのは、初めての経験でした。
今でも時々、園の前を通ることがあるんですが、「懐かしいなー」と嬉しくなります。路線バスを見ても同じ懐かしい感覚になります。Tさん宅で過ごせたから、こういう「地元ならでは」の暮らしも経験できたんだと思います。

 

僕は言葉が遅くて、小学校にあがっても、周りの皆に比べると、言葉が出なかったんですね。頑張って伝えようとしているんですが、なかなか思いを伝えられなくて。「何を言いたいの?」と聞かれながら、父母は僕が言いたいことをくみ取って、一から適切な言葉を教えてくれました。それで、徐々に普通に話せるようになっていったんです。

 

小学校4年生くらいのときに、何か周りの子と違うことに気が付いて、Tさん夫妻が、実は里親さんなんだということに気が付きました。戸惑いましたが、Tさんと一緒に暮らすことがあまりにも自然だったので、悲しいとかはなかったですね。名字が、本名の鴨下と、里親のTという通称名の2つがあるというのも、最初はちょっと特別感があって嬉しかったというか(笑)。

 

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「小学4年生まで、自身の境遇が特別だとは気が付かなかった」と話す伶さん。

 

通称名と、本名の戸惑い

 

━━地元では、鴨下という本名で通していたんですか?

 

 いやいや。幼稚園から高校3年までは、里親の名字であるTという通称名で過ごしていました。専門学校に進学するときに、本名の「鴨下」に戻しました。

 

この「本名」と「里親の通称名」の問題、ほんとやっかいなんですよ。専門学校時代には、テストの記名欄などを間違えて「あ、やばい」となっちゃったことも。この前は銀行で通帳を作ろうとしたんですが、里親の通称名のTの印鑑を間違えて持っていっちゃったんですね。「間違えた印鑑を持ってきちゃいました」と正直に言ったら、「印鑑って間違えますかね?」「本当に鴨下様ですよね?」……と(笑)。

 

━━確かに。それは混乱しますよね。

 

 はい。以前、高校生の里子の集まりに参加したんですね。そうしたら、ある里子から「名前が変わったことでいじめられている」という相談を受けました。「親が離婚してとか言えばいいじゃない?」って言ったんですけど、「それじゃ自分のメンタルが持たない」って言うんですね。

 

僕自身は、悩むキャラじゃないし、名字が違っても友人や周囲に堂々と言えるんですよ。でも本名を正直に言ったことで、いじめられることを恐れて言えないと悩んでいる里子もいるんです。言いたいんだけど、言いたくないという複雑な心境が、あるんだと思います。

 

姓のことではありませんが、「里親宅の実子との関係がいまくいってないんです」とか、「里親を呼ぶときは、今でも敬語ですよね?」とかいう悩みも相談されたことがあります。

 

━━伶君のような、里子の先輩となるお兄さん的な存在が周囲にいるといいですね。

 

 うん、うん、うん。そうですね。

 

里親委託では、養子縁組と異なり子どもの姓は変わりません。しかし家族として一緒に暮らす里親の姓を「通称名」として、子どもが名乗る場合もあります。使用する姓を決めるときは、子どもの気持ち、実親との関係性、子どもの将来の姿など、様々な点を十分考慮する必要があります。通称名を使用する場合であっても、里親や支援者は、子どもにとって本名と通称名はどちらも大切なものであると考え、子どもたちの受けとめや、自立にともなう姓の変更時の心の揺れをサポートしています。

 

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人生は、前進したり、立ち止まったり。

 

 ━━Tさん夫妻と衝突したことはなかった?

 

 もちろんありました。だいたい僕が悪いんですけど(笑)。覚えているのは、5歳のときの喧嘩。理由は忘れましたが何かがあって、怒られたんですね。で、僕が荷物をたたみはじめて「もう帰るから」と言って、施設に帰ろうとしたんです。「施設のほうが面白かったんで」という捨てセリフを吐いて。母がすごく悲しがっていました。

 

中学生の頃には、そんなに反抗期はなかったんですが、「うっせーな」とか「早く仕事行けよ」とか普通に言っていたりもしていました。そんなときは、僕を叱るのはだいたい父なんです。でも短気な父ですから、すぐに、がっと怒りに来るんです。

でもどんなに怒られても、楽しいことのほうが勝っていたので、T家に来てぜんぜん後悔はないんです。父は、ばかまじめな人なんですね。その上、がんこで、短気で、何もいいとこないんですけど。でもやっぱり面白い人だし、いっぱい俺のことを認めてくれている。そして、一番僕のことを心配してくれる人なんです。

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中学時代の伶さん。「父にはよく自然の中に遊びに連れていってもらいました」

 

━━お母さん(里母)は、伶さんにとってどんな人でしたか?

 

 母は、父が怒ると、いつも助け舟を出してくれて、僕を守ろうとしてくれました。父との間に入ってくれて、和解を導いてくれた。その母に僕が小学5年生の時に肺がんが見つかりまして。すでにかなり進行したステージにあったのですが、僕が中学2年になった年の6月、亡くなってしまいました。

 

末期で体がつらいときには感情の起伏が激しくなって、僕と喧嘩になったこともありました。でも病気がなければ優しい母で、酢豚を僕が好きなパイナップルを山ほど入れて作ってくれたことを思い出します。大好きな母でした。

 

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料理好きのお母さん(里母)さんは、フライパン一つで、なんでも作りました。

 

━━つらい経験でしたね。

 

 はい、それは、とても。母の死はもちろんですが、ふだん絶対に泣かない父が、泣いている姿を見るのもつらかったんです。

 

葬儀のとき、父に「伶、この後、どうする?」と聞かれました。
里親は夫婦などの大人が原則として2人いることが前提となっている制度なのですが、うちのように1人亡くなると、委託が解除されるケースがあります。実際のところ、僕は短気でいきなりがっと怒りに来る父よりも、どちらかといえば母のほうが好きだったんです。

 

ただ父は、「ここまで一緒に来たから、最後まで一緒にいたい。お父さんもがっと怒らないようにするから、ついてきてくれ」と泣きながら言われたときは、「別にがっと怒ってきても、僕はついて行くけどな」と素直に思いました。

結局、児童相談所が配慮してくれて、僕をTさん宅で継続して暮らせるようにしてくれました。そんな経緯もあって、僕は父のことを、前にもまして、好きになったんです。

 

━━それはよかったですね。

 

 はい。僕も父に甘えることにしました。自分の専門学校に進学するときも、奨学金を借りようかと思ったんですが、父は「伶は他の子どもたちと比べると、すごく苦労をしてきたし、人一倍努力してきたんだから」と、「お父さんが学費とかを全部払う。だから安心して生活しなさい」と言ってくれました。だから今の僕は、父や母のおかげなんです。

 

※伶さんの場合は、里親のTさんが進学資金を支援してくれましたが、里子が進学や自立のために使うことができる様々な奨学金制度(※「里親図書館~里子の自立支援について知りたい~」を参照)もあります。

 

━━将来の夢はありますか?

 

 うーん、そうだなぁ。近い夢だと、父を温泉旅行に連れていくことですね。父には「お前の運転をみてみたい」と言われて運転免許証の取得中なんです。取れたら父を車に乗せて温泉まで連れていきたいなと。

 

━━素敵な夢ですね。

 

 はい、だけどまだ筆記試験が残っているんです。友達と遊んでないで、早く取らないと、なんですけどね(笑)。頑張ります。

 

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伶さんは、「これからたくさん親孝行をしていきたい」と話します。

 

 

  里親宅で暮らす後輩たちへ

 ~~鴨下伶さんからのメッセージ~~

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里親さんのところに行ったら、里親さんの顔色をうかがったり、「いい子にしなきゃ」とか考えず、十分に甘えてほしいと思います。

欲しいもの、やりたいことがあったら、正直に「ほしい」「やってみたい」と主張していい。我慢しちゃう子が多いと思うけど、我慢することが一番よくない。素直に自分を出して、それでももしもうまくいかないときがあったら、児童相談所に相談して解決していけばいいんだから。僕たちを支えてくれる人は、必ずいる。

だから周囲の人に素直になるのが、自分の道を見つけることに繋がると、僕は思います。

 

 

 

 

 

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